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Log19

2006/01/02(月)
役立つ英語
連日の病院通いである。今日は面会室まで歩いて来ていたのでだいぶ良くなって来てはいる。歩きながらも「お腹空いた。スシ、スシ・・・」と言うくらいだから間違いない。でも、お医者さんの許可がないとこればっかりは差し入れも不可である。

ここ数日で覚えた英単語。どこかで使えるかも知れない(もちろん使う状況になっては困るが)。今回の発端はお腹の痛み「abdominal pain」であった。もしかして盲腸「appendicitis」かも知れないが、断定できないので入院して様子見。翌朝、手術「operation = surgery」をしたが、炎症「inflammation」は大したこと無かった。ただ、中から水「waterと言っていた」と膿「pus」が出てきたので、それらを掃除した。となると腹痛の原因が問題だが、どこかで感染「infection」したのだろうか。取りあえず抗生物質「antibiotics」を変えて様子を見たところ腹痛は治まった。現在は、いつになったらスシが食べられるか?いつ退院できるかを待っている状態。

盲腸は付録(appendix)みたいなものだからこう呼ぶのか?血液検査では白血球の数値が10000を越え、CRPが0.3を越えると炎症が起きていると考えるらしい。ちなみにCRPとはC-reactive proteinの略らしい。

「信長の棺」読了。
夜は三宮の同窓会に出席。「容疑者xの献身」購入


2005/12/31(土)
開腹で快復
そんなわけで病院通いである。朝9時過ぎに行くとちょうどドクターが来て説明をしてくれた。数値的にはまだ大きい値が出ているが、これは一日遅れて出るからで、明後日の数値が良くなれば問題ないとのこと。それよりも痛みが無くなった事が重要で、マライカが明らかに元気になっている。ドクターが、少し歩いても、水を飲んでも構わないと言うのでマライカは我々が着替えを取りに帰っている間に散歩を楽しんだようである。

口数も明らかに増えており、フランクに「あなたも二、三日入院して飲まず食わずの生活をすれば痩せられるのに」と言ってあきれさせていた。そんなわけで、フランクはマライカが読めるような英文の本や雑誌を買いに紀伊国屋に出かけると言い、じゃあオレも帰ると言って帰ってきた。

家に帰って気が付けば、今日は大晦日。なんとなく新年を迎える感じではありませんな。


2005/12/30(金)
やはり手術
朝の9時に血液検査の結果が出るので、それを見てから判断しようと言うのでまず病院に行った。白血球の数が増え、CRPの値も二桁増大。痛みも局在化しているので手術しましょうとなった。ここで難しいのが「痛みの局在化」である。他は客観的な数値であるが痛みがどこにあるかはすごく感覚の問題であり、もっと複雑にしているのが言葉の問題である。なので、はんまに「痛みの局在化」しているのかいな?とは思ったが「切りましょう」は外科医の常套句なのでしゃーない部分もある。

手術の間、フランクはいっぺん家に帰ってまた来るつもりだったようだが、看護婦さんが何かあったら連絡するので待合室に控えているよう言われたので二人で待った。予定時刻になっても終わらないので、これはおかしいとフランクが言い出したが、実際そうであったようだ。30分くらいオーバーしてドクターが終了を知らせに来てくれ、結果を説明してくれたのだが、どうやら盲腸ではなさそうであった。どこかが炎症を起こしているのは確かだがどこかは分からないという話を聞いて少しブルーになる。しかし、このようなケースで考えられる措置をするのでそれで様子を見ましょうという結論になった。とりあえず、病室に戻ってきたマライカを見てからキャンパスに帰り、昨日の続きを行った。

夕方の六時半まで仕事してから病院に行き、病室をのぞいたらフランクは保険会社に治療費の支払いについて連絡するために家に戻っているとのこと。看護婦さんに明日の血液検査がいつあるかを訊いてから帰宅した。


2005/12/29(木)
緊急入院?
で、今日の予定は阪大で2時まで仕事をして、3時から梅田で「六甲」時代の同級生と久しぶりに会う約束であった。なので、電車で阪大に行き、木村君の70T-ESR用マグネットを作り始めた。最初の作業はそれほど時間もかからないので、明日以降の準備も含めて順調に進み、センターに1時30分くらいに戻り、昼飯を食べて梅田に出かけることにした。

すると、センターにいた三宅君(清水研)がマライカさん(Frnak de Boerの奥さん)の調子が悪くて、清水さん、加賀山さん、中本さんで家まで見に行っていると言う。連絡を取ってみると救急車で病院に連れて行くらしい。運ばれた先が豊中市民病院だと言うので、午後の予定を変更して行ってみた。

ちょうど今日から休みのせいで救急は大にぎわいであった。受付で知り合いである旨を伝えてもらい中にはいるとぐったりとしたマライカさんがいた。まさかこんな形で再会するとは思わなかったので残念である。診断の結果も、最初は盲腸であろうと思われていたのが必ずしもそうでは無さそうとの見立てとなり、結局入院して明日の様子を見ることになった。

昨日来日したばかりで入院とは何とも不運である。しかも腹痛の原因がはっきりしない状況である。もし自分がその立場になった事を考えると少しでも不安な要素を取り除いてあげるべきであろう。役に立たないが明日も来るからと言って引き上げた。


2005/12/28(水)
御用納め?
今日は早速「強磁場施設」の準備委員会。その前に、山岸課長が予算とスケジュールの修正をしなさいとの事。1月11日には本部に出すらしい。

準備委員会は12:00で終了。スケジュールの修正を三菱といつやるかと相談したところ今日ならOKであったので、柏→丸の内(三菱)→羽田→伊丹で行こうと決めた。

嶽山さんが昼飯を食べながら打ち合わせをしようと言うので、蕎麦屋に一緒に行ってキャンパス駅で降ろしてもらうことにした。ちょっと話が長引きスタートが遅れる。丸の内に着いたのが午後二時半。飛行機が四時半。1時間あれば何とかなるかと思ったが、あっという間に時は過ぎ、気が付くと3時45分。これで乗れんかったら悲惨やなあと思い必死に走った。羽田着が4時14分でチェックイン機に向かってダッシュしたら、ただならぬ雰囲気を察知したオネエサンが「30分の便ですか?」と訊いて奧の機械でやってくれた。まあ乗れただけでもラッキーと思ったが、取ってくれた席が入り口すぐ横の一番良い席で、二重にラッキーであった。


2005/12/27(火)
いよいよスタートか
今日は慌ただしい。ポイントは午後遅くにある本郷でのヒアリング。それでも朝はまず柏に向かう。10時からは所長室で川口さんの辞令交付式に付き合い、そのあとC棟でニチコンの福本さんと中沢さんに制御盤の不思議について説明を受けた。これでサブバンク1.5MJを使った実証実験が可能になった。

非破壊100テスラ実証実験のスタートや。

部屋に戻りヒアリングに向けての準備をして嶽山さんと一緒に本郷にGO。場所は産学連携プラザである。現地で柳田課長と合流して待つ。時間は押し気味であったが、暴れたりはせずにひたすら待つ。順番になると嶽山さんが張り切って喋り続け、オレの要求は聞いてもらえないまま帰されそうになった。それでは来た甲斐がないので一応説明をしたらあっさり装置の特殊性はよく分かりますと良い反応!

再び柏に戻り、所長から概算要求の話を聞いた。

世界一の強磁場計画のスタートや。


2005/12/26(月)
バス・ガス爆発
やはり年の暮れである。今朝もバスは渋滞に巻き込まれてしまった。それでも9時過ぎには着いたので、メールをチェックしてからニチコンの切換盤の確認をしに行こうとしたら経理の岩下さんと渡辺さんがあわててやって来て、仮置きのコンデンサー電源からガスが漏れる事は無いかと訊かれた。まったくガスは使ってないんですけどと答えると「やはりガス漏れか?」とうなずきあっている。えっ、どういうこと?

仮置き場所からガスの異臭がしているのを守衛さんが気付いてくれたらしい。そう言えば先週、骨組みが出来た時に見に行ったらガス臭かったことを思い出した。その時は、工事にガスを使う事があるのだろうと思っていただけだった。行ってみると確かに臭いがきつくなっていた。これが囲いの中でこもってしまいガス爆発なんて事になったらせっかくもらった電源がパーになってしまう。結局、長野さんが京葉ガスを呼んでくれて配管をずらしてもらえたようで、午後に見に行った時には臭いがしなかった。

一難去ってまた一難、切換盤がうまく動作しない。こんなん切り替えて磁場出したらあっという間に終わりやで、やから実験入れてても大丈夫やろと考えたのが甘かった。もたもたしている内に、芝浦工大の堀先生が実験にやって来はった。そっちにもいかなあかんし、嶽山さんは資料は作ったか?と聞いて来はるし、ピンチや。

でも時間が経つ内にいろんな事が片づいて行った。夕焼けに浮かぶ富士山がきれいに見える頃には、切換盤も表示がおかしいけど磁場は出るようになったし、実験はちゃんと出来ている。最後に残った資料作りを部屋にこもってやり終えたら10:20!あかん手ぶらでダッシュやとバスに飛び乗り、TXにも飛び乗り、北千住で「信長の棺」を購入。最後はのんびり帰宅。


2005/12/22(木)
テニス日和
朝のバスが渋滞、年の暮れ。いつもより遅めに到着したものの午前中にバタバタと仕事を片付けて昼休みに備えた。

なぜなら、家先生とテニスの試合である。ちょっと練習で打ってみた。ボールは意図せぬ方向に曲がる。サーブのトスが困難。まあこれもおもろいかも。しかし、結果は3-6で完敗。相手が上手すぎました。準決勝で負けたときは負けた気がしなかったが、今日は負けた気がしました。今年のテニスはこれで終了。残りは仕事に打ち込もう。

と思ったのも束の間、急いで羽田に向かわねば。明日から世間は連休モード。今日の午後、明日の午前と飛行機の予約が取れない。みんなどこ行くんやろうか?しかし明日は伊丹の家の資源ゴミの日。コイツが月に一回しかないくせに先月、先々月と雨で中止だったため三ヶ月分が貯まっている。だから是が非でも帰らねばならない。JALのホームページをたたきまくっている内にキャンセルをゲットできた。さあ急ごう。その前に三田村マグネットの様子をチェックした。やはり、マグネット本体の問題ではなくて電極とワイヤーの接続部分に異常がありそう。来週、トラブルシュートすることにした。

飛行機は雪の影響で乱れまくり。でも飛んでくれたのでOK。


2005/12/21(水)
田中、小林、掛谷、小埜
朝イチの飛行機で羽田着。柏行きのバスに乗ろうとしたら運転手さんが「道路混んでますよ。何時間かかるか分からない。電車で行く方法もありますよ。」と言う。そんなんは知っとるけど二時間くらいならまだバスの方がエエし・・・と考えながらもなんとなく天の邪鬼が顔を出して、「ええわ、乗ります。」

バスに客はオレ一人のタクシー状態。すごい裏道を走ってくれて楽しかったし、結局時間もそんなにはかからへんかった。ちょうど乗ってる間に整理した資料で昼から田中設計事務所とフライホイール実験棟の打ち合わせをした。こちらの要求が厳しいから嫌になってるような気もするけど来月のヒアリングには必要なので至急でお願いした。

実験棟に行ったら小林達生の酸素の実験の三日目であった。まだ良く分からんけど面白い結果が出てるので今後が楽しみ。ロングの部屋では掛谷も三日目。こちらはもっと分からん結果が出てるのでもっと面白い。この先が楽しみ。夕方からは小埜君の実験用に磁場出しテストをして問題無し。明日が楽しみ。

内コイルの内コイルにザイロンを巻いた。ザイロンは17往復がちょうど良さそう。今日は19往復巻いてしまったので削らないといけない。


2005/12/20(火)
Magnet Test in Kobe
というわけで朝10:00にキャンパスに到着。さっさと初めてさっさと終わろうと思ったが、実験室に人気がない居室をのぞいたら大久保氏が「今から輪講なんで昼まで待ってね」と言う。なぬーっ!そんなんやったら今朝の移動で間に合ってたやん、オレの時間を返せ。と頭に来ながら川内氏に電話をかけた。「今どこにおるの?」「阪大にロゴスキー取りに向かってます」なぬーっ!それやったら来るのは昼頃になるやん。「山本君は?」「山本君はもうすぐそちらに着くんとちゃいますかねえ」ちょうどその時通りがかった山本君を捕獲できた。「一緒にテストの準備しようか」

山本君がデジタルメモリーの立ち上げ、オレがコイル周りのセッティングを行い、やれることは大体完了。輪講はまだ終わらないので生協に早昼を食べに行き、しばらく待っていると輪講終了。

コイルを冷やす前に抵抗値を測ろうとしたらまともに測れる機械が無い。仕方ないのでアナログの電流電源を使って4端子法で大体の値を確認してスタート。なんやかんやで夕方6時近くに無事終了。最後は、播磨さんまで登場。磁場もちゃんと出ていたし良かった。先日、極限センターのコイルが壊れ似たようなことは続く物と心配していたが杞憂に終わった。

家に戻ってメールチェックしたら、三田村マグネット(神戸大と同タイプ)が磁場テストで壊れたかも?との知らせあり。うーむ、あっちに行ったか。


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shiromuku(hu1)DIARY version 3.10